あの地震から、一週間が経ちました。
亡くなられた方のご冥福と、被災された方の平穏が一日でも早く戻ることを、心よりお祈りします。
自分の友人知人にも、実家が被災地やその近辺にある人がいます。
また「よく知っている土地が見る影も無くなった」というような話しもよく耳にします。
友人たちの心境を慮るにも、とてもかける言葉が見つかりません。
直接的な被害が少なかったにしろ、首都圏も、交通の混乱や停電、
またこれは二次的な人災だとは思っていますが、食料不足など、
多少の混乱が今も生じています。
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ここから少し、自分(gentaro)の思ったことを書きます。
こういう考えに至ったのは、自分の近しい人に直接の被災を被った人がいないからかも知れません。
安全なところからの物言いにも見えるかとも思います。
人によっては奇麗事、他人事、不謹慎と捉えて不快な思いをさせてしまうかも知れません。
だけど、誤解を恐れず書かせて頂きました。
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自分は、地震の時に一時的に近くの神社に批難したものの、
職場に戻ってからは、ほとんど日常と変わらず仕事をしました。
帰宅命令や自宅待機なども一切無く、業務に至ってはごく通常通りでした。
震災への恐怖と悲しみが収まりつつあったころに
「自分は何ができるのか」だとか「自分はなにもできない」
だとかいう言葉も聞きました。
報道に目を向けると、えも言われぬ恐怖感や不安が募ります。
自分が何が出来るかと問われると、被災地に飛び込むような
ヒロイックな救済活動など出来るはずもありません。
それらを踏まえて考えたのは、不安や恐怖の払拭と共に自分が出来ること
自分にとってのそれは「なるべく日常を営む」ということでした。
幸いにも仕事が滞ることなく続いていたので、当たり前のように仕事をし、
仕事が終わった後は、毎日のことを敢えて自粛せず、お酒を嗜み(さすがに量は大分少ないですが)、
休日は外に出かけ、外食をして、レコードを買って、会える友人とは顔をあわせました。
そのなかで少しだけ、小額ですが、募金を継続して続けてみています。
「できることはこのくらい」ではなくて「自分がやること」を見定め、
「なにか少し協力できること」には手を伸ばし、願わくば
「隣人の非日常」に「自分の日常」を被せて、近くの人から日常の平穏を取り戻す…
ようになったらいいなと思います。
悲観しても、不謹慎な相手に眉をひそめても、怒り罵声を浴びせても
結局腹は減ります。疲れます。眠くもなります。
冷静になれば、首都圏は大きな被害はありません。
交通や節電の影響でいくばくか不便ですが、日常を妨げられるレベルでもありません。
だからこそ、日々の暮らしを営み、日常を定着させることが重要だと思います。
それに加えて出来ることとしたら、募金や献血、物資の支援(これは一度でなく、継続的になにか出来たらいいなと思います)、
あとは労働と消費で「経済を回す」ことでしょうか…。
*
ということで、また次回以降、ここのブログも通常通りの更新をしていければ…と、思っております。
最後に重ねてですが、亡くなられた方のご冥福と共に、被災された方の
一日でも早い復興と心の平穏を願っております。
直接被害に遭わなくとも、大きく心に恐怖と不安の傷を負った友人たちの平穏も戻るよう願います。
2011年3月19日
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